当サイトはアフィリエイト広告を利用しています
ニュース

ボクシング与那覇勇気|戦績や生い立ちからプロ転向までのまとめ

ボクシング与那覇勇気戦績生い立ちプロ転向

元キックボクサー・総合格闘家でプロのボクサーに転向した那須川天心選手(帝拳)のデビュー戦「スーパーバンタム級ノンタイトル6回戦(東京・有明アリーナ)」の対戦相手に選ばれた与那覇勇気選手(真正)
この対戦で、与那覇勇気選手が注目を浴びていますよね。

今回は、与那覇勇気選手のことを良く知らない方のために、与那覇勇気選手の戦績や生い立ちからプロへ転向するまでをまとめてご紹介します。

ボクシング与那覇勇気のプロフィール

ボクシング与那覇勇気プロフィール

●名前:与那覇勇気 (ヨナハユウキ)
●生年月日:1990年12月31日
●身長:169㎝
●体重:55㎏
●出身地:沖縄県南城市
●家族構成:妻・子供2人
●職業:プロボクサー
●所属:真正ジム

与那覇勇気ボクシングの戦績

与那覇勇気ボクシング戦績

プロボクサー与那覇勇気選手の、戦績を見ていきましょう!

アマチュア時代

通算63試合(50勝13敗 KO27回)

プロ転向後

通算17試合 (12勝4敗1引き分け KO8回)

アマチュア時代から強かった与那覇勇気選手!
63試合中50勝なんてスゴイですよね。

与那覇勇気選手の武器は「拳の強さ」
ご自身でも言っているくらいに攻撃的なパンチ力が武器だそうで、その証拠にアマチュア時代では勝利した半分以上がKO勝ち
また、プロ転向後も12勝の内8回もKO勝ちして相手をノックダウンさせています。

現在のランキングは日本バンタム級2位・東洋太平洋ランキング14位

所属している真正ジムは、「元WBC世界バンタム級王者」、「元WBC世界フェザー級王者」、「元WBC世界スーパーバンタム級王者」、世界3階級制覇王者などバンタム級では5年間世界王座に君臨したあの長谷川穂積さんが所属していたジムで、多数のチャンピオンを輩出している西日本名門ボクシングジムとして有名です。

ボクシング与那覇勇気生い立ちからプロ転向まで

ボクシング与那覇勇気生い立ちプロ転向

与那覇勇気選手の生い立ちからプロへ転向するまでをまとめてご紹介します。

幼少期時代

小学生から空手を始め、中学生になり空手を続けながら柔道部へ所属していた与那覇勇気選手。
中学は「公立 南城市立佐敷中学校」で、3年間柔道に励んだそうです。
お父さんが格闘技が好きだったことから、子どものときから格闘技が身近にあったようですね。

高校生時代

ボクシングを始めたきっかけ

与那覇勇気選手が通っていた高校は「私立 沖縄尚学高等学校」で、高校生からボクシングを始めたそうです。
ボクシングを始めたきっかけは、高校受験で悩んでいた時にお父さんと親交のあった当時沖縄尚学高校ボクシング部の監督 金城眞吉(キンジョウシンキチ)さんや、中学時代の恩師の推薦もあったようです。

格闘技が好きだった与那覇勇気選手は、「格闘技ができるのなら」と入学を決めたそうです。

金城監督との出会い

当時、沖縄尚学高等学校ボクシングの監督 金城眞吉さんは、元WBA世界ライトフライ級王者で現役時代には最優秀選手賞に5度も選ばれた記録を持つボクシング界のスター 具志堅用高さんの師匠の方なんだそうですよ!
きっと中学生の時から、与那覇勇気選手に注目していたのではないでしょうか。

金城眞吉監督の元、みるみるうちに頭角を現し始めた与那覇勇気選手。
高校時代には、「インターハイ出場」や「国体3位」、「全国高等学校選抜大会バンダム級優勝」など全国大会に出場し、華やかな戦績を残しています。

恩師の存在

もともと、目立ちたがり屋な性格で一発KOなどボクシングの華やかな部分に憧れていた与那覇勇気選手に対して、部活では地味な基本の練習を繰り返しさせていた金城眞吉監督。
ただ、”その苦痛な練習のお陰で、ボクサーとしての土台を築くことができ、パンチ力を武器に前に出て打ち込むスタイルを確立できた”とのちにインタビューで語っていらっしゃいました。

与那覇勇気選手にとって金城眞吉監督はボクシングを始めるきっかけやボクサーとして活躍している今を作ってくれた偉大な恩師であり、金城眞吉監督にとっても与那覇勇気選手は自分が育てた最後の全国高校王者だそうです。

大学からプロ転向へ

強豪校へ進学

与那覇勇気選手は高校卒業後、東洋大学(東京)に進学し、ボクシングを続けます。

東洋大学のボクシング部といえば、ボクシング日本選手権で多くのメダリストを輩出した強豪校
オリンピック金メダルと、プロ世界チャンピオンの両方を獲得した初めての日本人ボクサーで、元プロボクサーの村田諒太(ムラタリョウタ)さんと同じ大学です。
大学進学後も、ボクシング部総監督になった金城眞吉監督に指導を受けたそうです。

プロに転向へ

プロへの転向は、大学を卒業したとき。
きっかけは、大学生の時にプロボクサーの方と練習する機会があり、プロになった友達の話を聞くうちにプロになろうと決めたとのこと。
もともと、ボクシングはアマチュアで終わりにしようと思っていたそうですが、格闘家魂に火が付いたのかもしれませんね。

プロになってキャリアを積んできた与那覇勇気選手でしたが、25歳のときに一度引退しています。
辞めた理由は、”負けても悔しいと思う感情がなくなったから”

辞めたあとはトレーナーとして、WBO女子世界ミニマム級王座を奪取した佐伯霞選手など支えた与那覇勇気選手。
選手たちの頑張る姿を見て再び闘志に火が付いたのか”もう一度挑戦したい”との思いが強くなり、引退から3年後に復帰しています。
現在の活躍は、戦績に書いた通りとなっています。

那須川天心との対戦

2023年4月8日(土)に、元キックボクサー・総合格闘家でプロのボクサーに転向した那須川天心選手(帝拳)のデビュー戦「スーパーバンタム級ノンタイトル6回戦(東京・有明アリーナ)」の対戦相手としてリングに立った与那覇勇気選手。

1ラウンド前半に先手で攻めましたが、スピード、フットワーク、カウンターと全ラウンドで那須川天心選手が優位に・・・。

結果は0‐3と大差をつけられて残念ながら敗北してしまいましたが、流血しながらも那須川天心選手の連打に耐えて最後まで持ち堪えました。
体力を回復させて、次回の試合に期待します!

まとめ

与那覇勇気選手は沖縄県出身のボクサーで、幼少期から格闘技を学び、高校生時代にボクシングを始めました。
高校時代にはインターハイや国体、全国選抜大会バンダム級優勝など輝かしい成績を残し、その後、アマチュアとしての実績を積み重ねプロ転向を果たしました。

アマチュア時代からKO勝利など武器の攻撃的なパンチ力を生かし、現在は日本バンダム級2位のランキングを獲得しています。

今回、那須川天心選手のプロボクサーデビュー戦の対戦相手として注目を浴び、結果は敗北となってしまいましたが、これまでの戦績は素晴らしいものであり、今後の活躍が期待される日本人ボクサーの1人となっています。