当サイトはアフィリエイト広告を利用しています
パワースポット

日光東照宮の神秘|逆さ柱はなぜ逆向きに立てられたのか?

日光東照宮の神秘逆さ柱はなぜ逆向きに立てられた

日本の古都、日光に佇む日光東照宮。
日光東照宮は日本の有名な神社の1つで、その美しい建築や歴史的な重要性は多くの人々を魅了しています。

この神社に、特徴的な建築物である「逆さ柱」が存在していることをご存じでしょうか?
逆さ柱と呼ばれる不思議な柱は、その意味についてこれまで数々の疑問や謎が騒がれています。

逆さ柱は、なぜ造られたのか?
また、なぜそのような形状が採用されているのか?

今回は、日光東照宮の歴史や由来を紐解き、逆さ柱の意味や場所、また逆さ柱に関する言い伝えなども含めてご紹介します。

日光東照宮
日光東照宮の歴史|謎・秘密・都市伝説を調べたら面白かった!修学旅行先にも選ばれている日光東照宮ですが、昔から色々と噂話がささやかれていることでも有名です。 歴史の裏には少なくとも現在では解明で...
日光東照宮都市伝説秘められた謎・不思議・幽霊伝説
日光東照宮都市伝説|秘められた【謎・不思議・幽霊伝説】とは日光東照宮は江戸幕府初代将軍の徳川家康を祀る神社であり、世界遺産にも登録されています。 また、日光東照宮には、多くの都市伝説が残されて...
【徳川家】現在の財産!歴史から学ぶ日本の金持ち大名家の秘密
【徳川家】現在の財産!歴史から学ぶ日本の金持ち大名家の秘密徳川家は、日本歴史上最も影響力のあった大名家の一つ。 その輝かしい過去から現在に至るまで、徳川家はいかにして日本の文化、政治、そして経...

日光東照宮の歴史と由来

日光東照宮歴史と由来

日光東照宮とは栃木県日光市にある神社で、江戸幕府の初代将軍である「徳川家康」(1543年~1616年)の霊を祀っており、世界遺産にも登録されています。

日光東照宮の建築は「権現造」と呼ばれる独特の様式で、神社と寺院の要素を併せ持っています。
この東照宮の建築により、日本の代表的な神社建築様式である「権現造」が完成したとも言われいて、その華麗な建築は豪華で力強い印象を与え、当時の権力者である徳川家の威光を象徴しています。

日光東照宮は現在も修復を重ね、その壮大な建築様式や美しい装飾、歴史的な重要性から、日本国内外から多くの観光客や信者が訪れる場所となっています。

由来

日光東照宮の由来には、徳川家康の信仰と江戸幕府の基盤への感謝の念が深く関わっています。
戦国時代の動乱期に生まれた徳川家康は、戦国大名としての経歴を積んで日本の統一を果たし、その後、江戸時代の初代将軍として幕府を開いて日本を平和と安定の時代へと導きました。

徳川家康は神道と仏教の両方の信仰を重んじる人物で、特に、神道の神々とのつながりを深めることに力を入れていたと言います。
日光は古くから霊的な場所とされ神々が宿ると信じられていたため、徳川家康は自身を神格化してその霊を永遠に祀るために、この神聖な地「日光」に東照宮を創建することを決定。

徳川家康の没後、家康の遺言もあり、2代目将軍の「徳川秀忠」が日光東照宮を創建
当初は簡素な造りでしたが、徳川秀忠没後に偉大な祖父の家康を敬愛していた孫であり徳川3代目将軍「徳川家光」によって現在の佇まいに造営
家光は、家康の功績を称えるとともに、徳川幕府の権威を示すために、日光東照宮を豪華絢爛で壮大なものにしました。

日光東照宮逆さ柱の場所と位置

日光東照宮逆さ柱の場所と位置

日光東照宮建てられている数ある建造物の中で、最も豪華絢爛で存在感があるのが陽明門(ヨウメイモン)で、逆さ柱は陽明門にある柱の一部として配置されています。

陽明門の柱は12本あり、すべて「グリ紋」と呼ばれる渦巻きのような文様が彫られています。
この「グリ紋」は中国のデザインによく用いられる文様で、獣の顔を想像させるところから魔除けの効果があると言われています。

逆さ柱は、陽明門をくぐって背面左側の内側に立っています。
よく見ると、他の柱と違い「グリ紋」の文様が1つだけ逆さまになっていることがわかります。

逆さ柱は、陽明門にあることで良く知られていますが、実は本殿と拝殿に1つずつあることをご存じでしょうか?

合計で3本の逆さ柱
日光東照宮に行かれた際には、陽明門だけでなく、本殿と拝殿の逆さ柱がどこに隠れているのか探してみてはいかがでしょうか。

逆さ柱の意味

 

この投稿をInstagramで見る

 

モン・ヌーヴァ(@mont_nuva)がシェアした投稿

逆さ柱(サカサバシラ)または逆柱(サカバシラ)の本来の意味は、日本の木造建築における言い伝えの1つで、建物の柱に使用する際に木が本来生えている方向を上下逆にして柱を立てることを言います。

逆さ柱は、遥か昔から日本各地に伝わる建物が揺れ動く不思議な現象(家鳴り ヤナリ)を起こしたり、家運の衰退や災いなど不吉なことを引き起こすと言われていて、建物を建てる際には逆さ柱にすることを嫌がれていました。

日光東照宮逆さ柱の本当の意味

日光東照宮の逆さ柱については、中国を代表する名著「史記 蔡沢伝(サイタクデン)」に書かれている「月満つれば則ち虧く(ツキミツレバスナワチカク)」ということわざがあり、”満月は必ず欠け、物事は盛りに達すれば必ず衰えはじめるという意味”から、完成すればのちに崩壊が始めると考えられて、逆さ柱をつくることで未完成であるという意味が込めれている可能性があります。
未完成にすることで災いを避ける=魔除けの意味として逆さ柱にしたと言われています。

そのために、日光東照宮の逆さ柱は、日本古来から伝わる逆さ柱の言い伝えとは違い、中国のことわざから用いた”完成と同時に崩壊が始まる”という意味が深く関わっていると考えられます。

江戸幕府(徳川幕府)は、初代の将軍徳川家康から数えて15代目将軍「徳川慶喜」まで続き、265年の間守り続けてきました。
長く続いたのは、この逆さ柱のお陰かもしれません。

白い色の意味

柱に塗られているのは胡粉(ゴフン)といわれる貝殻からできた白い顔料ですが、この胡粉は本来下地材として使われるもので、上から塗る色の発色をよくするために使われるもの
日光東照宮の建物はとても豪華で、各所にカラフルな色彩が使われています。
その中でも白い胡粉の色は異様に目立ち、他とは雰囲気が異なります

もしかしたら胡粉で塗られている所も、すべて未完成という意味なのでしょうか・・・。

謎が多い日光東照宮。
日光東照宮ついては多くの人たちが興味を持っていて、本当の意味は現在もベールに包まれています。

逆さ柱に関連する言い伝え

逆さ柱に関連する言い伝え

日光東照宮の逆さ柱は、中国のことわざから”完成と同時に崩壊が始まる”という意味から、あえて未完成にして災いを避ける魔除けの意味があると言われていますが、実は逆さ柱に関連する類似した言い伝えがあるのです。

江戸時代には家を建てる際に「瓦を三枚残す」という言い伝えがあり、あえて瓦を三枚残すことで建物が長持ちするように願を掛けたそうで、日光東照宮の逆さ柱と同じように完成したものは崩れていくという同じ意味があるようです。

実際に、京都にある国宝や数々の重要文化財が存在している知恩院御影堂(チオンイン ミエイドウ)の屋根には瓦が残されているそうで、御影堂が出来上がった際に江戸時代の名工であり、日光東照宮の「眠り猫」を彫った左甚五郎(ヒダリジンゴロウ)があえて残したままにしたと言われています。
知恩院の御影堂もまた、徳川3代目将軍「徳川家光」が創建したものです。

また、鎌倉時代の「徒然草」八十二段には、”完全に揃っているのが良いとは愚かな考えであり、不揃いこそ良い。内裏(天皇の住まい)も必ず造り終わらないところを残す”という意味の言葉が書かれています。

昔からこれら言い伝えが人々の心の中に深く刻まれて、完璧なものには魔が潜むとされ、こうして未完成な部分を残すことで難を逃れようと願ったと思われます。

【物部天獄】読み方から謎を解き明かす都市伝説の秘密を探る
【物部天獄】読み方から謎を解き明かす!都市伝説の秘密を探る日本の都市伝説の世界は、謎に満ちた物語と不思議な人物で溢れています。 その中でも特に興味深いのが、「物部天獄」という名前です。 しか...

まとめ

今回は、日光東照宮の歴史や由来を紐解き、逆さ柱の意味や場所、また逆さ柱に関する言い伝えなども含めてご紹介しました。

日光東照宮は江戸幕府(徳川幕府)初代将軍の徳川家康を祀る神社として世界遺産にも登録されている日本を代表する神社です。
その日光東照宮の神秘的な建造物の1つが逆さ柱で、逆さ柱は全部で3本あり、内1本が陽明門内に建てられています。

逆さ柱については、中国のことわざから用いた”完成と同時に崩壊が始まる”という意味が深く関わっていると考えられており、あえて未完成にすることで崩壊を避けたと思われます。
また、柱の文様には「グリ紋」というデザインが施されていて、獣のような顔に見えることから魔除けの意味を持っているとのこと。

祖父であり徳川初代将軍の家康を尊敬し敬愛していた3代目将軍徳川家光が、家康の意を汲んでこのような意味をもつ逆さ柱を造り、徳川家の繁栄を願ったのではないのでしょうか。

日光東照宮には、逆さ柱の他にも多くの謎が残っています。
1つずつ紐解いていくことで、謎に満ちた日光東照宮の解明に繋がるのではと思われます。